池袋の事務所に来客があるとの連絡を受け、水田は急ぎ外出先から帰路に着いた。
「お嬢、お待たせしました」
応接室では、が留守番の鷲頭と談笑をしていた。水田が帰ってきたのを笑顔で迎え、ごめんなさい、アポイントも取らずに寄ってしまって、と肩を竦める。
「例のものが届いたので、すぐ千一に見せようと思って」
「そうでしたか。……おい、出ていろ」
水田が、く、と顎で示すと、組員たちが一礼して部屋を出て行く。
「鷲頭、おまえもだ」
「え。……あ、はい」
鷲頭は一瞬面食らったような顔で、と水田を順に見遣ってから、同じく一礼をして部屋を出た。の来訪を事務所で迎え、水田に連絡したのは、他ならぬ鷲頭である。今日の彼女の訪問意図も、もちろん直接聞いていた。彼女の夫の経営する観光ホテルのうち、台湾に建築中のものをモデルケースとして、カジノ事業を展開しようという動きがある。水田がもともと賭場をしのぎとしていたことから、水千組を挙げてこれに助力するよう、橘から言われていた。との会話の中で、先週から台湾に滞在中の夫が現地の賭場に詳しい人材を見繕っていると言っていたので、その相談ならば、鷲頭も当然同席するのが筋だと思えた。
首を傾げながらドアを閉めると、先に出ていた沢田がにやつく口元を隠そうともせず、立っていた。
「鷲頭さんも追い出されたんですか」
「人聞きの悪いことを言うもんじゃない。さんは橘の親分の血筋だ、下の者がそう易々と同席させてもらえるわけがないだろう」
「下の者、ねえ。水千組若頭でも、ですか」
まあいいや、と意味ありげに笑って、沢田はそれにしても、と勝手に話を変える。
さん、近頃はますます綺麗になられましたね」
「橘の親分のお義姉さん──さんのお母さんも、とても綺麗な方だったと聞くしな。どこか浮世離れした、不思議な魅力のある方だったそうだ」
「結婚して、旦那さんも晴れてカタギから貴船組のフロント企業社長ですからね。さん、立派な極道の妻だ」
「おい、口を慎め」
沢田の下卑た顔を、鷲頭は嫌悪感でもって見返す。橘の親分の耳に入ったら、破門じゃ済まないぞ、と窘めた。
無駄話は終わりだ、と沢田を追いやる形で、鷲頭も応接室の前を離れる。途中で沢田と別れ、自身の部屋へ向かいながら鷲頭は、しかし沢田との会話が頭から離れない。
たしかに、橘が愛する姪を好奇の目で詮索する輩を、ただで置くはずがない。
だが、沢田に下るであろう鉄槌は、それだけだろうか。
水田のおやじがあれを聞いたら──。
鷲頭は、背筋に冷たく蛇の這うような感覚をおぼえる。先刻、事務所へ帰ってきて、と笑い合う鷲頭を見たときの、水田の氷のような視線が蘇る。
水田が、と他の組員とを遠ざけようとするのは、今日に限ったことではない。が水千組を訪ね、あるいは貴船組本部で彼女と顔を合わせて、まともに会話をさせてもらえることなど、滅多になかった。今までは彼女が直接組の動向に関わることも少なかったため、組員とプライベートな交流がなくともさして不思議はなかったが、今後、彼女が組のしのぎに一役を買うようになれば、そしてそれでもなお水田が壁を作るようなら、沢田が感じ取ったように、その違和感は誰の目にも明らかとなるだろう。
おやじは、さんを愛しすぎている。
それはともすると、橘の親分をも凌ぐほどに。
ふうっとひとつ、鷲頭は大きく息をつく。面倒事をけしかけるのは好きだが、巻き込まれるのはできれば避けたい、というのが本音だ。だが、水田に他の組員の不信が募るなら、それを除けるのが己の役割でもある。
「さて、どうしたものか」
他人事のような呟きで、今日のところは、これ以上気を揉むのも止めにした。どのみち、可能性の段階で、今考えても仕方のないことなのだから。
ふと、先ほど水田を迎えたの、花の咲いたような笑顔を思い出す。
おやじが芙由子さんを愛するように、さんもまたおやじのことを……?
まさか、と首を振る。
さすがに妄想が過ぎるな、と自分で自分を哂った。