「お嬢」
叔父の家を辞し、車へ向かう途中、名を呼ばれたは、ゆっくりと振り返った。
「あら……入山、久しぶりね」
「ご無沙汰しています」
にこやかにへ近づき、頭を垂れたのは、関東貴船組系浅間組組長である入山黄明。叔父が先ほど、今夜理事会を予定していると言っていたので、そのために来たのだろう。
「千葉から、今こちらへ? ご苦労様」
「いえ、ちょっと早く着いちまいましたが、お嬢にお会いできたんで、良かったですよ」
そう言って笑い、を見つめる、その探るような目。は、この男が苦手だった。
「お嬢は、もうお帰りで?」
「ええ。主人に頼まれていたものを、叔父さまにお渡しに来ただけなの」
「じゃあちょうど良かった。これから飯でもいかがです」
「え」
「前々から、ご主人の仕事の話なんか、聞きたいなと思ってたんですよ」
「そう。でも、今日はちょっと」
「まあそう言わず。俺が本部に顔出す日は、何故かお嬢がいらっしゃらないことが多いんで、今日くらいはいいじゃありませんか」
「そんな、だって、急だわ」
入山がなかなか引き下がらないので、は嫌悪が顔に出ないよう、必死だった。そこへ、正門へ車を回していた水田が現れる。
「おい兄弟、お嬢を困らせるとは、ずいぶんじゃねえか」
「よう兄弟。別に、困らせるつもりはねえよ」
足早に詰め寄らんばかりの水田に、入山は軽く手を振っておどけた。まあ、お嬢もお忙しいところを、お呼び止めして申し訳ありません、と目を細める。
「お帰りは、水田の車で?」
「ええ。来るときもそうだったから」
「相変わらず、仲のよろしいことで」
「口を慎め!」
水田が怒鳴ると、そう怖い顔するなよ、兄弟、と入山が身を引く。じゃ、これで失礼します、と目礼して、さっさとその場を立ち去ってしまった。
「すみませんでした、お嬢。不快な思いをさせてしまい」
「千一のせいじゃないわ。久しぶりだったのだし、彼ともたまには食事くらい、ご一緒すれば良かったのよね」
「しかし、あの男は時折、何を考えているかわかりません」
「あなたたち、兄弟でしょう。そんなことを言うものじゃないわ」
はそう窘めたが、実際、入山が腹の底を見せないことを、自身も警戒していた。
あの男が自分に寄せる関心の行き着く先──それはおそらく、水田の足元を掬うだろう。
それを、許すわけにはいかない。
「──やっぱり今日は、タクシーで帰るわ」
「は……お嬢、しかし」
「あなたも、夜の理事会までに、まだいろいろとやることがあるでしょう。忙しいのに、今日はありがとう」
ひとつ、微笑むと、まだ何か言いたげにしている水田に背を向け、正門を歩いて出て行く。
大通りへ出てタクシーをつかまえると、マンションまでの十五分間、はただただ、水田に会わずに平静でいられる自分を探していた。