庭に心地良い日溜りが落ちていて、はそこで本を読んでいた。
「お嬢」
呼ばれ、顔を上げると、心配そうに眉尻を下げた水田が駆けてくるのが見える。小首を傾げながら彼を見つめると、そばまで来て膝を折った水田は、安堵と困惑を綯い混ぜた顔で、探しましたよ、と言った。
それが、が覚えている一番古い水田千一の記憶だった。
あの頃のはまだ幼く、父とそれを取り巻く強面の男たちが世間一般にどう思われる集団であるのか、理解に乏しかった。歳を経て、その意味を身を以って知る頃には、は既に彼らと矜持を同じくしていた。両親はが少女の時を脱ぐのを待たずに逝ったが、父の弟がをいたく可愛がり、大学進学の面倒まで見てくれた。水田は、その父の弟──橘勲の腹心である。
ふいに懐かしい気持ちがしたのを、は頬にうすく浮かべた笑みで慈しむ。二階の窓から見える中庭には、あのとき腰を下ろした桜の木陰があって、そこにはあの日と同じ色の、心地良い日溜りが落ちていた。
あれからもう、どれだけの時が過ぎ去ったのだろう。は今、美しく成長した。橘は会う度、相好を崩しての清廉さを称える。どこへ出しても誰に引けを取ることもないと、誇らしげに微笑む。そうしての肩を抱き、伴侶にはしかるべき相手を、俺が必ず選んでやる、と囁く。それが、現実のものとなろうとしている。
叔父の目に適った人物なら、きっとにとっては最上の選択となる。は叔父が好きだったし、彼と彼を取り巻く多くの者たちの──皆、には家族も同然である──その全員の未来に実りをもたらすのなら、喜んで花嫁衣裳に身を包むつもりだった。
けれど。
「お嬢」
呼ばれ、振り返ると、困惑を平静で包み隠した顔で、水田がへ歩み寄る。
「おやじがお呼びです、見合いのお相手が到着したと」
「そう、ありがとう」
ただひとつ、たったひとつだけ、この庭へ置いてゆくものがあるとすれば。
「──千一」
「はい、何か」
彼の心に棲む困惑の源を、知りたいと願ってしまう心を。
「いいえ、何でも。行きましょう」
「……どうぞ、こちらです」
淡々と滲む、日溜りの記憶ごと。