梅雨の晴れ間にゴルフへ行くという叔父一行を見送るため、は、いつもより早い朝の空気を身体いっぱいに吸い込んでいた。
「石川のおじさまに、よろしくお伝えくださいね」
「ああ、次はお前も一緒に来い、兄貴も、お前に会いたがってる」
「それなら今度は、ゼミの課題が少ないときにしてくださいな」
が拗ねたような顔をすると、橘は苦笑して、悪かったな、との黒髪を撫でる。
「帰りにうまい酒でも買ってくる」
「ふふっ、楽しみにしてます」
と、そこへ、玄関に黒塗りのセダンが二台、滑るように横付けられる。二台目の後部座席を開けた水田に片手を挙げて、橘は車に乗り込んだ。
「じゃあ、叔父さま、楽しんできてくださいね」
「おう」
「千一、よろしくね」
「お任せください。お嬢も、今日は屋敷が手薄ですから、お気をつけて」
何かあればすぐご連絡ください、と言い含めた水田は、目礼をして運転席側へ回り込む。その水田の背中に、はふと、違和感を覚える。
「……千一」
「はい」
運転席のドアに手をかけた水田が、目線をへ向ける。呼んだものの、は続く言葉を見つけられない。
何が、というわけではない、いつもと変わらないようにも見える、けれど。
「どうした、
パワーウインドウを下げて、橘が訝しむ。違和感を言葉にできないと、困惑したように首を傾げる水田を交互に見遣ってから、寸の間の思案の後。
橘は、車を降りた。
「おやじ、どうか」
「千一、やっぱりお前も残れ」
「は、しかし」
「今日は村田の車で行く。、千一に何かうまいもんでも食わしてやれ」
「え、あ、はい」
言いながら橘は、そのまま前に付けた車へ乗り込むと、まだ何か言いたそうにしている水田を制し、じゃあ、行って来る、とさらりと手を振る。前へ向き直ると、こちらも困惑を隠せない様子で運転席に収まる村田へ、出せ、と短く言った。
門扉を左へ出て行くテールランプが見えなくなっても、水田は呆けたように突っ立っていた。が袖を引いて屋敷の中へと促すが、得心のいかない顔は、既に閉ざされた門を見つめたまま、なかなか離れない。
「おやじはどうして、急に俺を留守番に」
「だってあなた、体調が良くないでしょう」
「いえ、そんなことは」
「そんなこと、あるわ」
ほら、熱いもの、と言って、は右の手のひらを水田の額に充てた。私はすぐには気付けなかったけど、叔父さまは、やっぱりすごいわ。ほうと感嘆のため息をついて、さあ、中へ、と玄関へ向き直ったの背中を、水田は気恥ずかしさのあまり、ただすごすごとついていくしかない。
「すみません、ご心配をおかけして」
「千一はいつだって、自分のことは後回しなんだから」
だめよ、とかるく怒気を含ませたの声が、しかし、水田の耳には心地良く響いて、面映い。
「命令。今日は一日、ちゃんとわがままを言うこと」
「は、いや、しかし」
「でないと、私が叔父さまに叱られちゃうわ」
それでもしばらくは逡巡を捏ねくり回していたが、やがて水田は目を瞑り、観念したように肩を落とす。
そして、お嬢の味噌汁が食べたいです、と、小さな声で言った。