が酒に酔ったところを、見たことがない。 浴びるほど飲むというわけではない。ただ静かにグラスを空ける。顔色はほとんど変わらず、陶器のような白い頬が、ほろりと柔らかくなるくらいである。いつだったか橘が、義姉さんに似たんだろう、と笑っていた。 だから、今夜の彼女は不思議だった。ワインを一瓶空けて、少し足元の覚束ない様子を、水田は珍しく思ったのだった。 空に夕焼けが滲む少し前、から着信があり、一人では食べきれないから、と家に呼ばれ、酒と手料理を振舞われていた。おやじは呼ばないんですか、と訊くと、主人の心証が悪くなるわ、と肩を竦める。今日は必ず家で一緒に夕食をとろうと約束していたはずの彼女の夫は、急な仕事とやらで未だ香港にいるらしかった。何日も前から準備をしていても、そう言われてしまえば、文句の一つも返さずただ頷く。そればかりか夫の立場を慮って、これが橘の耳に入ることも良しとしない。の涼しい目元を思う。今日は、の誕生日である。 「お嬢、少し飲み過ぎましたか」 二本目の瓶も半ばになり、の口数が減ってきたのを、水田は案じて小首を傾げる。ええ、そうみたい、ちょっと、とゆっくり言って、はソファの背凭れへ滑るように身を預けた。 広いリビングから、暫し、言葉が消える。 静かな夜だ。 緩々と、花のように呼吸するの吐息。 彼女を一人残したまま、遠い異国の地を離れなかった、あの男。 最近殊に親密だという部下の女について、水田も噂を聞きつけていた。虫も殺さぬような善人面をして、なかなか太い神経をしていやがる。奴がどれだけ道を踏み外そうと、組に損失を与えなければ、どうだっていい。だがお嬢を泣かすようなら、話は別だ。 さらり。の長い黒髪が肩を流れ、漣のようにつやめく。ただ、何を躊躇うこともなく、その髪に触れたいと願う心が赦され、そして触れることが叶う時間が、水田に訪れることはない。なぜ、自分にとってこれほどまでに得難いものを持つ者が、それを大切に扱わないのだろう。 「──……ん」 目を閉じたまま、が少し、身を縮める。半分だけ開けた窓から夜気が忍び込み、肌に冷たく寄り添ってきていた。窓を閉めようと立ち上がると、気の早い虫の鳴くのが聞こえる。 夏が、終わろうとしている。 それを惜しむかのような、焦燥の沈みゆく夜更け。 移ろう季節と、過ぎゆく時間と、屹立するその息苦しい断崖を高く仰ぎ見るような谷底に、ひっそりと二人、身を隠している。愛ゆえに、触れ合うことすら望まぬまま。 今、ここにこうして在ることだけで、己の生さえいとしく思う。 その幸福をこそ、水田は一等、怖ろしく感ずるのだった。 |