比叡山、六連ねの鳥居の祠、その廊下を、今日の夕飯どうしようかな、などと考えながら、は歩いていた。
「……あ」
「お、っと」
勝手への曲がり角で、向かいから来た誰かとぶつかりそうになる。は慌てたが、相手が難なくひょいっと避けたので、は反動で転んでしまった。
「いたた……す、すみません、ぼんやりしていて」
「大丈夫か」
無愛想にそう言ったのは、志々雄の召集を受けて昨日、京都へ戻ってきたばかりの十本刀が一人、刈羽蝙也。ほれ、と差し出された手を取って、は何とか立ち上がる。
「ありがとうございます、蝙也さん」
「……礼を言われるほどのことじゃない」
視線を外しながらぶっきらぼうに言った蝙也に、はくすくすっと笑った。彼が素直でないことは、長く一緒にいるうちに知ったことの一つだ。
「ところで、蝙也さん、お部屋の方は何か不都合とか、ないですか?」
「何も問題はない。ここへ戻ってくるまでは、野宿同然の生活をしていた時期もあったからな、むしろ良すぎるくらいだ」
「野宿ですか!? それは……大変でしたね、本当に。お忙しくなるまで、しばらくは、ゆっくりなさってくださいね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「ご飯も、しっかり摂ってらっしゃらなかったんじゃないですか? そういえば以前に増して、お痩せになったみたい」
「ああ、いや、そんなことは……」
「よくないですよ、きちんと三食、力のつくものお食べになった方がいいです。そうだ!」
蝙也はその戦闘スタイルゆえに、体重の維持には他人よりは多少、気を遣っている。これ以上も以下も無いと思うんだが、と思いあぐねる蝙也をよそに、は名案を思いついたとみえ、ぽんと笑顔で手を打った。
「今日のお夕飯、蝙也さんのお好きなもの、お作りします! 何でも仰ってください!」
キラキラとオノマトペが散ってゆく勢いで問われ、蝙也は困惑気味に、険しい顔をつくる。
「……いや、俺は別に何でも構わん」
の料理では、何かご不満がおありでしょうか!? でしたら直します、どんなお味がお好みでしょう!?」
ぐっと拳を握り締めて詰め寄るに、あー……と視線を泳がせ、そうではない、と力無く言いながら、次の言葉をさがす。
「お前の、飯が気に食わんわけではない……ただ、……腹が満たされれば、それでいいというだけのことで」
「そう……ですか?」
蝙也の言葉に納得した様子を見せながらも、は、しゅん、とこころなしか肩を落とす。蝙也は、参った、とばかりに頭を掻く。
落ち込ませたいわけでもないのだ。いったい、どう言えばわかってもらえるのか。
「─────………では、」
ぼそ、と、蝙也が口を開いた。
「……肉じゃが、を」
頼む、と、やっと聞こえるかどうかの声で言うと、みるみる、の顔に明るさが戻っていく。
「はい! お任せください!」
腕によりをかけて、お作りいたしますね! と意気込んで、は、勝手の方へと踵を返す。その足取りは、何とも軽い。
その背中を見送りながら、つくづく、不思議な女だ、と蝙也は思った。
自分のような人間とも見えぬような人間の為を、あそこまで一直線に考えられる神経というものが、信じられない。
「…………何なんだ、いったい」
ふと、自室へ戻る途中だったのだ、と思い出して、くる、と方向を変える。
再び歩きはじめながら、心中、今日の夕飯を楽しみにしている自分に、蝙也はまだ、気づいていない。