「先輩は、モテるくせに男運サイアクなんですよぉ」
マリちゃんが言った。左手に握り締めたコップはたしか七杯目だったはずだが、既に空だ。
「こないだの合コンだってぇ、んもー、見るからにハズレ君とばっか喋ってて」
「アレは、だって、向こうが話しかけてくるから、しかたなく」
「お人好しなのもダーメーなーんーでーすー!」
腕に絡み付かれ、困ったように笑って、ちゃんはマリちゃんからビール瓶を遠ざける。
「マリちゃん、ちょっと、飲み過ぎだよ」
「あっ先輩、あたしが、酔ってるって思ってるんですかぁ、もお」
ちょっと憤慨したように言って、マリちゃんはぴんと人差し指を立てる。最近流行りのアレをやるらしい。
「酔ってないですよぉ、ね、おじさん」
「あはは、いやー、さすがに七杯は多いんじゃないの」
新しいコップに水を注いで、マリちゃんに差し出す。ちゃんは苦笑しながら、ごめんなさい、と謝った。
若者向け雑誌の編集の仕事をしているこの子たちは、おでん屋の常連のうちの二人だった。週に一、二度くらいのペースで顔を見せては、ビールとおでんを頼み、今進めている企画の話やら他誌の記事の話やらから、ファッション、音楽、スポーツ、恋愛と、雑多な話題を尽きることなく語り合っていく。彼女たちの仕事柄かもしれないが、話の幅の広さには、いつも驚かされている。
今日は来るなり小一時間、後輩のはずのマリちゃんが、先輩のはずのちゃんに、とうとうと説教をしている。
「だいたいですねぇ」
コップの水をぐいっと一気に飲み干すと、マリちゃんは、がしっとちゃんの肩を掴む。
「寂しいなら寂しいって、電話でもメールでもすればいいじゃないですかっ」
ちゃんが先日、別れてしまった彼氏のことだ。
「遠距離だし、そりゃあ、仕事してますから、ちょくちょく会うとか、無理でも」
皿の上の大根を、箸でいじりながら、マリちゃんはだんだん、自分が泣きそうな声を出し始める。
「寂しいとか、もっと気にかけてとか、別れちゃう前に、もっといろいろ……何で努力しようとしないんですかぁ」
「うん、ごめんってば。もー、何でマリちゃんが泣くの」
「だってぇ〜」
仕舞いにはマリちゃんは、ちゃんにしがみついて泣き出してしまった。
これ使って、とタオルを差し出すと、ちゃんが、ほんとにごめんね、おじさん、と言って受け取って、マリちゃんに渡す。
「うえーん」
「私は自分が、彼を繋ぎとめておけるだけの自信がなくて別れちゃっただけ。マリちゃんは大丈夫だって、ねえ、おじさん」
「えっ、ああうん、そうそう」
急に話を振られて、慌ててこくこくと頷いた。
「だってマリちゃん、こないだの土日も、北海道の彼のとこ、行ってきたんでしょ、一昨日来たとき、嬉しそうに写メ見せてくれたじゃない」
そういえばマリちゃんも彼と遠距離なんだよな、と思い出しながら、必死にフォローする。
「そうだよ、恋愛の形なんて人それぞれだもん、私は、遠距離が下手だったってだけだよ」
「……そー、ですか、?」
「うん、そうそう」
ようやく顔をあげたマリちゃんにほっとしていると、どこかで携帯が鳴った。
「あっあたしだ」
カバンをさぐっていたマリちゃんは、ピンクの携帯を取り出すと、ぱあっと笑顔になる。彼でした、と嬉しそうに言うと、ちょっと出てきまーす、と、席を離れた。
ちゃんと二人で、顔を見合わせると、同時に笑ってしまった。
「まあ、あれがあの子のいいとこでもあるんですけど」
「そうだね」
ほどよく煮立った鍋から、おでんのつゆの香りが立ち昇って、夏になりかけのゆるい熱気に取り巻かれた少し遅い夜の、けだるい喧騒の中に溶け込んでいく。しばらく黙ったままの二人だったけれど、それも何だか、心地良い。
実を言うと、ちゃんに惚れている僕だった。
ちゃんに彼氏がいたことだとか彼女の仕事が忙しいことだとかこちらの勇気の持ち合わせの問題なんかが原因で、どうこうしよう、という気持ちはあんまり無くて、ちゃんが店に来てくれると舞い上がって、そうでない日は、今ごろどうしてるかなあ、なんて思いに耽ってみたりして、それだけだった。
「私ね」
不意に、ぽつんと、ちゃんが沈黙を破った。へっ、と、間抜けな声を出してしまった。
「遠距離、向かないなあって思った」
「そ、そう」
「うん。向き不向きって、あるよね、やっぱり」
私、一人っ子だったから、寂しいのはもう懲り懲り、なのかもね、と言って、ちゃんは笑う。ふだん、強気でしっかりもののちゃんの、見たこともないくらい、弱々しい笑みだった。
「今度は、ちゃんが強がらなくても、一緒にいられる人と出会えるといいよね」
本当にそう思った。何だか、照れくさかったけれど、ちゃんはきょとんとして、それから、今度は嬉しそうに、ふわりと笑う。
「おじさんみたいなお兄ちゃんが、いればよかったなあ」
「え、……お兄ちゃん?」
「うん」
ちゃんの発言に、ちょっと複雑な気持ちになった。
でも、彼女の寂しさがちょっとでも和らいだなら、それはそれでいいか、と思った。