「……何をしている」
事務所の扉を開けた途端、漂ってきた磯の香りに顔を顰めながら、ネウロは問うた。
「あ、おかえりネウロー」
「脳噛くん、あけましておめでとう」
にっこり笑ってそれを迎えたのは、表向きこの事務所の主である弥子と、ネウロと同郷の魔人、である。
「我輩、新年早々を招いた覚えは無いのだが」
「あら冷たいわ脳噛くん、私たちの仲じゃない、アポイントメントなんて必要無いでしょう?」
「単なる同郷の徒に過ぎん者に、我輩としてはアポイントメントを要求したい」
「まあいいじゃんネウロ、せっかくさんが、おむすび作ってくれるって言うんだし」
「それで勝手に上げたのか」
涎まみれのにやけた口で言った弥子の頬を捻り上げて、ネウロはちっと舌打ちした。
「しかし何故、握り飯」
「あらいやだ脳噛くん、知らないの?」
左手に茶碗、右手に杓文字を掲げて小首を傾げたは、仕方の無い子ね、とでも言いたげな溜め息とともに苦笑して、あのね、と言った。
「人間の風習のなかに、年明けに意中の殿方へおむすびを贈ると、想いが成就する、というものがあるのよ」
「そうなのか弥子」
「いや、初めて聞いたけど」
「一般に、『一富士二鷹縁結び』と言われているわ」
さんそれ違う! と弥子は思ったが、訂正をするよりはやく、くだらん、と一蹴したネウロに強か後頭部を叩かれ、敢え無く床に崩れ落ちてしまう。
「だが……ふむ」
の知識は間違ってこそいたが、彼女の前に並んだおむすびを、ネウロはしげしげと眺める。山型の頭頂部を残して海苔が巻かれたおむすびは雪を頂いた日本の最高峰そのものだし、となりで大きな翼を広げ今にも飛び立とうとする鳥の姿を象ったものなど、米粒の集合体がいったいどうやればここまで精巧な塑像となるのか、美術評論家も舌を巻くほどの出来栄えである。
試しに一つ、指で摘まんだネウロは、それを床で伸びている弥子の口に放り込んだ。途端、声にならない声をあげて、弥子が飛び起きる。目を白黒させて、今、一瞬で地球の誕生の全てを垣間見た気がしたよ、と、訳のわからないことを口走った。
これはなかなかの出来……ネウロはほくそ笑む。
「それで、これを、どうする気だ」
「決まっているでしょう、私の想いの丈を込めて、笹塚刑事にお見舞いするのよ」
「いつものように、言葉は正しく使え、と言いたいところだが、今回は文字通りだな」
「楽しみだわ、笹塚刑事が、どんな顔をしてこれを食べてくださるのか」
「ああ、まったくだ」
……笹塚さん、新年早々、ごめんなさい。
それぞれの思惑に頬を緩ませる魔人二人に挟まれて、弥子は、涙ながらに笹塚の明日を案じることしかできなかった。