水飴の闇の中にいた。
濡れ土の上のようで、素足に纏わりつく生温かいものが不快だ。見下ろしてみたが、何も見えない。
闇は絶えず揺らめいていた。
川の流れのような、風の囁きのような、不思議な音が聞こえる気がした。それでいて、妙に静かだとも感じた。此処は一体何処なのだろう。
ふと、遠い獣の咆哮を聞いたように思い、ゆっくりとそちらを振り向く。呼応して、闇は波の引くが如く、するすると明けていく。
光の当てられた水飴は、赤かった。赤く赤く赤く、ぬるりとしていて、生温かい。血糊である。
張り裂けんばかりの金切り声を上げたが、赤い闇は不気味なまでに無音を貫いた。もはや鼓膜が機能していない。
そして、己が何であるか、気付く。



*



「──……、っは、ひぃ」
咄嗟に掴んだ柔らかいものが酷く冷たくて、かっと目を見開いた。全身が氷水から上がったように震えている。
(……夢、か)
薄墨色をした、黴臭い部屋だった。やけに天井が低く、煤けた板張りが厭でも目に付く。強引なまでに現へと引き戻される。そう、アレは、夢である。
(もう昼か、それともまだ明け方だろうか)
外は曇天のようで、光の加減で時刻を推し量ることもままならない。枕元へ目を転じてみたが香は疾うに燃え尽きていて、煙も残っていない。それで、諦めた。
ううん、と気怠げな啼き声がして、手中の冷たい絹がするりと抜けていった。隣でもぞもぞと、生白いものが大きな猫のように蠢く。
「如何なされました、佐々木様」
ふわふわと猫は、の声で喋った。黄ばんだ薄い布団からまどろむ瞳だけを覗かせて、兵衛の方を見つめている。
「……ああ、いや」
言葉を濁す兵衛に、はゆっくりと腕を伸ばした。髭も剃らぬのでざらつくばかりの頬を撫で、ふふと鼻を擽らせた。
「怖い夢でも、見たのでございましょう」
(見透かされている)
思う間に決まり悪さが込み上げて、ふいと顔を反らしたが、そんな兵衛を映すの双眸は愉しみと慈しみを綯い交ぜている。
「ご安心くださりませ」
すうと半身を起こして、は兵衛の背に滑り寄る。淀んだ灰色の空気が充満した部屋の中で、彼女の姿態はよりいっそう白く、艶かしい。細い指が肩を抱き、耳朶へ押し付けられた唇から、ほう、と温かい息が漏れる。
「こわいことは、とおいとおいところにございます」
破れ障子が、僅かに震えた。神鳴りである。遠い地響きはしかし、いつかここへも辿り着くのだろうけれど。
(どうせ、時刻も判らぬのだ)
いつの間にやら、冷や汗は引いていた。夢は、夢である。
兵衛はおもむろに右腕を持ち上げると、の柔らかな太腿に触れた。

(今少し、熱に浮かされていても良かろう)