何が起こった。
男の自問は、声にはならなかった。彼の咽喉は既に掻き切られていて、喋ろうとして肺が送り出した空気は剥き出しになった器官から漏れて、ひゅうひゅうと音を立てる。そんな莫迦な、と思う間もなく、男は事切れた。
そのようにして、現状の把握が追いつかないままに息絶えていった荒くれ者たちで、部屋は埋め尽くされていた。彼らを束ねていた男は、微動だにせずソファに踏ん反り返っていたが、それは高慢からの所作ではなく、単に恐怖に呑み込まれ、背も尻もソファに張り付いてしまったが為である。
「あの」
女の声が控えめに言った。瞳孔の開き切った目で、男は向かい合って座る声の主を睨み付ける。最早、彼にできるのはそんなことくらいしかなかった。
「教えていただけませんか」
困ったように眉でハの字をつくり、女が続ける。整った顔立ちは、少女の殻を脱いだばかりという年令ゆえか、美しさよりも愛らしさが際立っている。蜂蜜色の髪の毛をふわりと揺らして小首を傾げ、彼女はもう一度、今回の来訪の用件を伝えた。
「私の恋人が、ここへ来たはずなんです。でもその後の行方がわからない。彼がどこにいるか、ご存知なのでしょう」
男は彼女の質問に対して、明確な答えを持ってはいた。数日前にこの屋敷を訪れた武器商人を監禁したのは、他ならぬ彼自身だからだ。商人の持参した弾薬は、発注した数に足りなかった。組織の首領である彼に盾突く派閥の連中が発注票を改竄したことによるトラブルであることは明白だったが、彼にもプライドがある。武器商人とその私兵を捕らえ、屋根裏部屋へ押し込んだのだった。
門番が血相を変えて彼の元へ駆け込んできたのは、三十分ほど前のことだった。門番は震える声で、アジアの海を牛耳るファミリーの分家、商会の代表取締役が、武器屋を取り返しに来た、と言った。それが悪夢の始まりだった。
ふう、と、うら若き女社長は、この血生臭い屋敷にそぐわない、春の野辺に遊ぶ小鳥のような溜め息をついた。
「私も、あまり気の長い方ではないんです」
彼女の言葉に呼応するように、後ろに控えた傭兵が手中のナイフを光らせる。
「教えてさえくだされば、部下の方々の後を追わなくて済むのですよ」
彼女の視線はまっすぐに、彼を射ている。それは彼の眉間へ、咽喉元へ、脳へ、心臓へ、鋭い楔を打ち込み続けている。手足が痺れる。耳鳴りが酷い。震える舌で唾を飲み込もうとしたが口の中はカラカラに乾ききっていて、それもかなわない。そして、気付いた。
自分が、小娘一人に、そうと自覚しなければ意識を保っていることさえかなわないほど、気圧されているということに。
「……屋根裏部屋、に」
絞り出すように、男は、それだけ言った。わななく指で懐を探ると、鍵を摘み出し、それを彼女へと放った。
「ありがとうございます」
鍵を受け取ると、女はふわりと笑って、礼を言った。くるりと踵を返すと何事もなかったように、足早に部屋を出て行く。彼女の頭の中には、愛する男の顔しかない。愛する者を探して、黄金の涙を流しながら彷徨うような愛は、彼女には物足りなかった。
「──……Jesus」
部屋にたった一人、残された男は、神の名を呟いて意識を失った。