電話が鳴ったのは、まだ空も白み始める前のこと。
「ん…………はい」
受話器を取ったリトアニアは、眠気に支配された頭の中であっても、こんな時間にかけてくるくらいなのだからきっと緊急の用なのだろうと、自然と体を強張らせる。
『──もしもし、です。ごめんなさい、起こしてしまって』
「ああ、いえ、こんばんは。どうしたんです、こんな時間に」
『あなたの声が聞きたくなって』
の返答に、リトアニアは困惑した。人を困らせることに生き甲斐を感じているロシアや、怖ろしいまでに自己中心的で他人の迷惑など考えたこともないポーランドならともかく、がこんな非常識なことを軽々とするような人物でないことは、リトアニアもよく知っていた。
「あの……どうしたんですか、何か、大変なことがあったんですか?」
『いいえ、まだ何も。……ごめんなさい、本当に、あなたの声が聞きたかっただけなんです』
「そう、ですか」
しばらく話して、だいぶ眠気はなくなったが、彼女の行動の真意が掴めないため、リトアニアは訝しく思いながらも、受話器を置くことができない。
「……今、何時くらいでしょう」
『そろそろ五時になります』
「日の出は、まだまだですね」
『ええ』
の声は、他国の軍に攻められそうだとか、大規模な経済不安のきっかけとなる事件が起きそうだとか、そういった不安を抱えているようにも思えなかった。ただひたすらに穏やかで優しい、いつものの声だった。
『……ああ、そろそろ』
「え?」
『切らなくちゃ』
「何か用事があるんですか?」
『そうではないんですけど。最後の言葉を思い出せないのは、悲しいですから』
至って普通のことのように言われたその理由を、リトアニアがいまいち理解しかねていると、はくすくす笑った。
『あの、リトアニア、お願いがあるんです』
「何ですか?」
目の前の壁が白く浮かび上がってきたのに気付いて、リトアニアは窓を振り返る。空はだいぶ夜の色を薄められて、遠くの稜線から新しい日の始まりが這い上ってこようとしていた。
『私のことを、覚えていてください』
という国がたしかにここに在ったことを、覚えていてください。
「──……あの、それはどういう」
『……ああ、もう空がこんなに。我が侭に付き合ってくださって、ありがとうございます』
それでは、さようなら、と言って、は電話を切った。ツーツーと規則的な電子音を、リトアニアはしばらく、じっと聞いていた。
何故だかわからないけれど、とても胸の締め付けられる思いがした。


その日の未明、はエネルギー研究施設の機材暴走により、消滅した。