「……あれ」
廊下の端に何かが転がっていたことに気付いて、は立ち止まった。
引き返して、屈んで見る。真鍮製の懐中時計だった。
「すごい、重い」
持ち上げるとジャラリと鈍い音をたてて、長い鎖が床へ垂れ下がる。蓋には細かい模様が刻まれていて、なかなかに凝ったつくりの、高価そうな品である。
「けっこう、使い込まれてるっぽい」
開いたり閉じたりひっくり返して見たり、矯めつ眇めつ時計を眺めていたは、やがてそれをファイルと一緒に抱え込んで、再び歩き出した。
向かった先は、生徒会室。
「失礼しまーす」
ノックとともに、返事も待たずにドアを開ける。中にいたのはイギリス一人だけだったが、おまえ、俺が返事する前に開けるなよ、と怒られた。
「何か用か?」
「会長、これ、音楽資料室の前に落ちてましたよ」
「え? ……あ、俺の時計!」
拾ってくれたのか、と嬉しそうに言って、イギリスは時計を受け取る。
「探してたんだ、ありがとう」
「一個、貸しです」
「……おまえ、ホントかわいくねえな」
眉を寄せたイギリスに、はふふっと笑った。
途端、イギリスが、はっとした顔をする。
実は先日の図書館で、仲のいい小生意気な後輩としか思っていなかったを不覚にも女の子として意識してしまってからというもの、イギリスはの女の子らしい面が垣間見えるたびに胸をざわつかせていたのだが、そうとは知らないは怪訝そうな顔で、どうしたんですか、と訊く。イギリスは、ななな何でもねえよ、と大袈裟に首を振った。
「それより、こ、これが俺のだって、よくわかったな」
「はあ、まあ、なんとなく」
「な、なんとなく……?」
(それって、他の誰でもなく真っ先に俺のことが頭に浮かんだ、ってことなのか?)
「ええ、なんとなくです」
(こういうゴツいシュミしてそうなのって会長くらいしか思いつかなかったし)
何故か期待のようなものを含めた眼差しで自分を見つめるイギリスに、首を傾げながらは頷く。
フランスならもっと洒落たデザインのものを好みそうだし、ドイツは機能性を重視するからシンプルさを求めるだろう。オーストリアにはもっと華奢なものの方が似合うし、スイスが落し物をするとも考えにくい。イタリアやスペインに至っては、時計を持つ習慣があるかさえ怪しいものだ。
そういった諸々の想定を事細かにしたわけではなかったが、ともかく生徒会長に届けておけばいいだろう、くらいにしか思っていなかったの気持ちとは裏腹に、イギリスの中には間違った認識が生まれつつあった。
どうしよう、俺、に好かれてるかもしれない。
──ま、まあ、別に悪かねえな。
「……あの、じゃ、それ届けに来ただけなんで、私はこれで」
心なしか頬がによによし始めたイギリスに、その顔気持ち悪いですよ、と本当のことを言うのも何だか気が引けたので、は早々に部屋を出ようとする。
「え、もう帰るのか……?」
「珍しいですね、いつもなら、用が済んだら早く帰れよ、とか言うのに」
「べ、別に、おまえと一緒にいたいとか、そんなんじゃねえからな」
「何ですか、それ」
「ただ、時計拾ってもらったし、せっかく来たんだから茶くらい淹れてやろうかと思っただけだ」
「……今日は早めに帰ります。会長が私にお茶なんて淹れた日にゃ、記録的な大雪になりかねないですから」
私今日傘持って来てないんです、と笑って、は生徒会室を出て行った。
残されたイギリスは一人、何だあいつ、素直じゃねえな、とぶつくさ言いながらも、大事そうに懐中時計を胸ポケットに仕舞うのだった。