セントラルシティに雪が降るのは珍しい。
店に客はいなかった。マスターとバーテンの他愛ないお喋りが、ほろ酔いのには子守唄のように心地良い。うつらうつらしながら、窓の外に深々と降り積もる雪を眺めていた。
雪なんてきらい。
今日は、あの人が来るような気がしていたのに。
瞼が熱を持っている。泣きたいほど悲しいわけではないのに、酔いと眠気とがっかりした気持ちが混ざり合って渦巻いて、廻る思いが遣る方ない。
あの人のことでこんなに自分がいっぱいになるなんて、思ってもみなかった。
最初はただのお客さんで、少しずつ話をするようになって、口の上手い人だから一緒にいるのも楽しくて、そのうち店に来るのが待ち遠しくなって。
でも、それだけだと思っていた。
こんなふうに誰かに心奪われている状態は、嫌ではないけれど、もどかしくてむず痒い。
ああ。
あの人のために歌いたいなんて、私どうしちゃったのかしら。



さく、と音がした。
ふと気付けばカウンターに顔を伏せていた。人の気配がしないのでゆっくりと周りを見回してみると、マスターもバーテンももう奥で休んでいるようだった。肩に掛けられたブランケットのぬくもりに、小さく彼らに礼を言う。
さく、さく、とまた音がした。窓の外からである。それで、立って行ってそっと、白い闇を覗き込んで見た。
「──あら」
真夜中にぼうと浮かび上がる雪の街に、一際白い人影が立っていた。曇ったガラスに手のひらを滑らせると、人影の黒い瞳と目が合った。微笑んでいる。
「ゾルフ!」
「やあ、すみません、夜分遅くに」
声に喜色を滲ませながらドアを開けると、キンブリーが帽子を取って会釈した。
「こんな雪の中、傘も差さずに来たの?」
「何、意外と濡れませんし、こんな夜の散歩も滅多にできることじゃない。案外楽しいものです」
「ともかく、中へ」
駆け寄って手を引こうとするをやんわりと押し止め、キンブリーはその手を握った。にこ、と笑顔を作る。
「静かに降り続ける雪を見ていたら、あなたを思い出しました。そうしたら、どうしてもあなたに会いたくなって」
来てしまいました。目尻を下げ、猫のような声で言って、キンブリーは恭しくの手を掲げ、その甲に口付けを落とした。
「今から一曲、お聴かせ願えますか?」
小首を傾げるキンブリーに、は一瞬ぽかんとした顔をして、それからくすくす笑い出す。
「おや、おかしいですか」
「ええ、とても」
「では、聞き入れてもらえないのかな」
「とんでもない、大歓迎よ」
「それは良かった」
大仰に喜んで見せ、キンブリーは、さあ寒いでしょう中へ、との肩を抱く。
さくさくと雪を踏む足音は二つ並んで、真夜中の店内へと吸い込まれていった。