「──博士」
のか細い声がして、シズマは目を覚ました。部屋には薄墨色の闇が満ちていて、カーテンの隙間から空を覗くと、朝焼けに白み始める前の透明な藍色に星が瞬いているのが見えた。
腕の中へ視線を戻すと、は静かに眠っていた。あまりに静かで、そっと彼女の口元に手を翳してみると、たしかにあたたかな呼吸を感じることができ、ほっとする。
「夢を、見ているのかね」
返答を期待しない質問を、穏やかに投げ掛けた。優しく頬を撫で、髪を一束、掬い取って口付ける。
「──フォーグラー、博士」
ぴた、と、シズマは息を止めた。
血液の流れも、心臓の動きさえも止まってしまったかのように思えた。それほど、の言葉はシズマを射た。



「夢を、見たの」
キッチンに立ったは、思い出のアルバムをめくるときのような声で言った。
「フォーグラー博士の夢。ちっとも変わっていなくて、お変わりありませんね、と言ったら、笑って、夢だからね、と答えてくださったわ」
シズマは何も応えない。が話を続ける。
「私、だんだん悲しくなってきて、涙を流したの。そうしたら博士は困ったような顔をして」
カップを二つ、持ってはリビングへ戻ってきた。片方をシズマに渡すと、隣に腰を下ろした。
「すまなかったね、と言って、私の頭を撫でてくださったの」
コーヒーを一口ふくんで、くす、と笑う。
「ごめんなさい、嫌よね、こんな話」

「あのときあの場にいた、あなたの方がつらいのにね」
言って、は、口を付けずにカップをテーブルに置いたシズマの、節立つ右手にそっと、自分の左手を重ねる。
「でも駄目なのよ。たとえ、世界の破壊者と憎まれる存在であっても」
シズマは、耳を塞ぎたい衝動に駆られる。の手を振り解きたい衝動に駆られる。それでいて、身動ぎもできずにいる。
「恩師なんだもの」
信じてしまうの。
蜘蛛の糸よりも細くて、砂の城よりも壊れやすいものだとしても。

博士が最期の瞬間まで抱いていた未来を。

の左手が、シズマの右手を握りしめる。力の強さではない痛みが、シズマの全身を貫いていく。
違う。違う。違う。
世界が知っているのは歪められた真実だけだ。そのことを知っているのはシズマを含めたごく僅かの人間だけだった。真実を歪めたのは、他ならぬ彼ら自身だった。
違うんだ、
君は君を信じていい。君の恩師を信じていい。
シズマの心は叫んでいた。を縛り付ける錆びついた鎖を、引き千切ってやりたかった。
だが同じ心が、彼女の瞳に憎しみの炎が宿るのを怖れていた。その眼は必ずや、自分に向けられることを、怖れているのだった。
そして。
「──済んでしまったことは仕方がない。だが彼もまた、あの問題を真剣に考えた者の一人だった。それだけは確かだ」
真実らしい虚言を平気で吐く。
シズマの言葉がを救いはしたが、その救済がまやかしであることもまた、シズマだけが知る真実だった。

自分自身こそが一等怖ろしいものに思えて、シズマは一つ、身震いをした。