狙撃主はどうやら左利きらしい。弾丸の軌跡が右方向へ集中しているので、それと知れた。
「──きっかり……五分か」
パチンと音をたてて懐中時計を閉じると、イワンはホルスターの留め金を外した。陽気な宴から一変、銃声と怒号の飛び交う酒場の喧騒を背に聞きながら弾を込め、第一撃の構え。
「なっ何だてめぇ!」
最早蜂の巣のバーカウンターの陰から躍り出ると、咄嗟に怯んだ相手の左手へ正確に狙いを定める。一発で銃を叩き落とし、もう一発で肩を砕く。ぐあ、と呻き声を上げ、男は床に膝をついた。
一瞬の沈黙が降りた。呼吸をする者は二つ。十人からいたはずの酒場の客も店員も、後は皆既に死体だ。
「おっと」
こつ、と踵を鳴らして、イワンは居丈高に男へと近付く。
「無駄な抵抗は止したが身の為だぞ。私はお前に、聞きたいことがある」
鋭い視線に射竦められて、男は身動きが取れない。フン、と鼻で笑って、イワンは男の伸ばした手の先にある銃を蹴った。
「てめぇ……カヴァッロファミリーのモンか?」
「あんなチンピラ集団と一緒にしないでいただきたいですな」
男の額に銃口を突き付けたイワンは、苦々しげにそう吐き捨てた。イワンの冷ややかな声に、男は唾を飛び散らしながら喚く。
「オレは、オレは頼まれてやっただけだ、満月の晩の午前零時きっかりに、カヴァッロの幹部が取り巻きを連れてこの酒場に来る、それを引っ掻き回せ、と」
「それだ」
細いが節のしっかりとした人差し指をピンと立て、イワンは男を指差した。
「誰に言われた?」
「知らねえ、仮面を着けたヤツだ。手紙を渡されただけで、声も聞いてない」
「仮面、ね……」
男の言葉に、イワンは渋い顔で溜め息をつく。
「大方マッローネファミリーの小賢しい連中が、鼠の臭いを嗅ぎ付けたカヴァッロの目晦ましに茶番を仕掛けたってとこだろうが」
「な、何の話だ」
「つくづく頭の回転の鈍い男だな」
忙しなく左右に揺れ動く瞳で問うた男に、イワンは冷笑を一つだけ与えて、カン、と一際強く、踵を鳴らした。
「さあ、選べ! 今ここで大人しく私に従うか、スパイの嫌疑を掛けられカヴァッロの連中に嬲られるか!」
「スパイ……だとォ」
「我々も暇では無い。貴様らのようなチンピラ共の縄張り争いなどに、本来ならば関わる筋合いも無いのだが」
冷や汗を浮かべ頬の筋肉を奇妙に引き攣らせた男を見下ろして、イワンの苛々は段飛ばしに募っていく。
「今、此処で! 要らぬ暴動を起こして悪目立ちされては困るのだよ」
「あ、あんた、一体……」
品の無い濁声を醜く裏返らせる男に、もう何度目かの溜め息を盛大に吐き出した。
「まだわからんらしいな、自分が誰を敵に回したのか」
男の血走る眼球がこれ以上無いほどに激しく痙攣する。引き絞られた瞳孔いっぱいに映し出される死神の唇。酒場の窓へ向けて懺悔の格好で跪く男と月光との間には、引鉄に指を掛けた、何者にも侵し難い闇よりの使者が一人。

「──我らの、ビッグファイアの為に」



*



「──……遅かったわね」
「少々、喋り過ぎましたか」
路地裏の漆黒から滑り出た濡れ羽色のワーゲンに乗り込み、イワンはふうと息をついた。
「構わないのじゃないかしら、十分以内には完了したのだし」
「そうですか、ではアルベルト様にどやされずに済みます」
「どういうこと?」
「セルバンテス様と賭けをしていらっしゃったのですよ、今回の任務が十五分以内に完了するか否かを」
「あのお二人はまたそんな、不謹慎な遊びをなさって」
音も無くハンドルを回すに、イワンが説明をすると、は俄かに眉根を寄せる。
「ふふっ。樊瑞様に言い付けますか?」
「今回は、大目に見るわ。……それより、その傷」
の視線だけがちらと触れた左頬に手を遣って、ああ、と応えたイワンは、口の端を歪ませる。
「単なる擦過傷です。苦し紛れの引っ掻き傷が、どうやら届いてしまったようですね」
「ケアレスミスね」
「ミスだなどと。心外です」
避けることは容易かった。常ならばそんな情けをかけてやることも無い。田舎マフィアの最期の足掻きを、それでも敢えて受けたのは、偏に、久々の暗殺任務が殊の外愉しかった所為かもしれない。
「偶には、窮鼠に噛まれてやるのも良いかと」
「まあ」
呆れたように肩を竦め、主人に似ていけない遊びを覚えたわね、と独り言ちたにイワンは、禁忌の実ほど甘美な匂いで人を誘うものですよ、と嘯いて、笑った。