待ってくれ。
待ってくれ。
待ってくれ。
もがきながら必死で、伸ばした腕はしかし、空を掴む。光は最早、地を蹴る足の速度を嘲笑うかのごとき遠みへ、引き絞られるように消えていく。目の前で崩れ去っていく瓦礫、叫び声を上げる人々の群れ、そのどれもが無音のまま、ぼんやりと翳んでいく。
「─────………」
薄く開けた目蓋は、暫くして自室の天井を捉えた。
あれは夢だ。そう気付いて、言い知れない安堵からどっと体中の力が抜け、同時に、不謹慎な、と自分を戒めたい衝動に駆られる。あれは夢であり、過去においては現実であった光景なのだから。
「……そうか、今日は」
月が無いのか。
闇が最も濃い夜だ。煩雑な日常に埋もれかけていたあの恐怖が、引きずり出されたのも頷ける。
女々しいことだ、と思った。
あの惨劇から、いったいどれだけの月日が流れたというのだ。この体は未だ、あの感覚を鮮明に覚えていて、まるで今まさに起きていることのように慄く。
目を閉じる気になれなくて、起き上がった。
すると枕元で鳴り出した電話機に、それが必然であったかと錯覚する。相手は、わかっていた。
「もしもし」
『……ごめんなさい、遅くに』
「いいえ」
申し訳無さそうに謝罪を述べたの声がいつもよりしおらしくて、ああやはり、同じ夢を見たのだと確信する。
「かけてくるのではないかと、思ってましたよ」
『……そう』
少し、話してもいいかしら、と問われ、よろこんで、と答える。今夜はもう眠れそうにない、それは彼女も同じだ。
三年前のあの日、並んで、祖国の灯の死に絶えていく瞬間を見つめていた。
この遣り場の無い哀しみの記憶を共有する唯一人の友とともに、この夜を明かそう。