オズマという男について、他の団員から、凡そ良い噂を聞いたためしがない。 仕事は出来る。よく気もつく。紳士的な一面などもあり、文武もそこそこ秀でている。ただ、女に手が早い。 「そこが最大にして最低の欠点ね」 「全く」 の溜息に、ローザが力強く頷いた。彼女は入団直後の一時期、同じ部署だったオズマに多少の興味を抱いていたらしいが、現在はそれをして「人生最大の黒歴史」と呼んでいる。 「だいたい、口説き方がキモいのよね。花束とかさあ、鏡見てから買えってのよ」 二、三度食事をした後で、一週間毎日花束を贈られ続けたというローザの苦悩をリアルタイムで知っているは、苦笑しながら彼女を宥めた。 「彼も、悪気があるわけではないし、もちろんいい所もあるんだけど、なんていうか」 「ダメよ、ああいう手合いは、はっきり言わないとわからないんだから」 「でも、気が引けるじゃない」 「そんなことだから、私の部屋に逃げ込むような事態になるんでしょ」 ローザにぴしゃりと言い放たれて、は継ぐべき二の句もなく、しゅんと項垂れた。そう、は今、オズマから逃げ回っている最中なのである。 事の発端はBF団作戦参謀、諸葛亮孔明の発した一言である。パリに建設中の施設の傍に本部を置くマフィアが、近々抗争を始めるらしいとの情報が入り、阻止すべく特別部隊が組まれることとなったのだが、その司令塔に抜擢されたは、オズマの仕事の正確性と作戦の要が新しいロボットの試運転であるという二点を挙げ、オズマが適任であると推した。孔明は寸の間考え込んでから、扇をひたとに向け。 「よろしい。がそこまで惚れ込んだ男とあらば。精進して任に当たりなさい」 それだけの言葉を残し、さっさと会議室を出て行ってしまった。後に残ったのは、孔明の言葉を素直に受け取ってにやりとほくそ笑んだオズマと、背筋に寒気を感じる。 「──それから毎日、ラブレター攻撃、でしょ」 「……泣きたい」 「気持ちはわかるわ」 泣け、と両腕を広げたローザに縋り付いたは、いい友達を持ったわ、と深く感じ入った。 * という話を全く知らないイワンは、二ヶ月に渡る長期任務を終え、やっと本部へ戻ってきたところだった。 「おや」 食堂へ入ると、時間帯のせいか人も疎らな中に見知った背中を見つけて、イワンは声をかけた。 「オズマ、何をしている」 「うわっな……何だ、あなたでしたか」 慌てて身を伏せたオズマは、振り返って確認した相手が気心の知れた上官だったので、安堵の溜息をつく。 「お戻りだったんですねえ、どうでした、上海の方は」 「特に変わったこともなかったよ。しかし、長逗留はやはり疲れるな」 「どうです、久しぶりに今晩、美味しい酒でもご一緒に」 「嬉しい誘いだが、今度は一体何を企んでいる?」 「企むだなんてとんでもない」 あたふたと手を振りながら笑って、オズマはちらと周囲を一瞥し、実は、とイワンに顔を寄せた。 「その、ご相談したいことが」 「やはりそういうことか」 「恋文を渡したい相手がいるのですが」 「私にそういうことを相談されても困ると、いつも言っているだろう」 うんざりした表情で、イワンはオズマを払い除ける。オズマが女に手の早いことは周知の事実だったが、ターゲットが変わるたびこうしてイワンが無理矢理聞き役にされていることは、意外と知られていない。 「そう言わないでくださいよ。今回は、あなたの身近な方なんですから」 ね、協力してくださいよ、と言って、オズマが差し出した手紙を、イワンはしぶしぶ受け取る。くるりと表へ返して見て、絶句した。 「──?」 「ええ、まあ。様の方でも、少なからず想ってくださっているようでしたので」 「が? おまえを?」 視線を手紙に釘付けたまま、イワンは暫く何か考えていたが、やがて糸が切れたようにの執務室のある方へ歩き出す。 「あ、どちらへ?」 「これを渡しに行ってやるのだよ」 「今日の執務はお休みですよ。ついでに言いますと、さきほど伺ったら居室にもいらっしゃいませんでした」 「……おまえはストーカーか」 * という話を聞いたんだが、と言ってローザの部屋へやってきたイワンは、げんなりとソファに身を横たえたを一瞥する。 「よもや、本気でオズマを?」 「まさか! 孔明様の言葉の綾を、ああも素直に受け取るとは、誰も思わないじゃない」 から次第を聞いたイワンは、なあんだ、そうでしたか、と声を立てて笑った。 「笑い事じゃないわ」 「ああ、すみません、安心したらつい」 あ、これ、一応頼まれたから渡しておきます、とオズマの手紙を差し出したイワンを、はじとっとねめつける。 「嫌がらせ?」 「まあ、そう言わず。せっかく書いてくれたんですから、読むだけ読んでおあげなさいよ」 「もう十日目よ。十枚読んだのよ十枚! そろそろ解放してくれたっていいじゃない……」 「では、返事を出したらどうです?」 「あら、いいわね」 イワンの提案に、ローザも賛成を叫んだ。 「はっきり伝えればいいのよ、もう勘弁してくれって」 「そんな、それはいくらなんでも、傷付くんじゃないかしら」 「どのみち付き合う気がないのなら、どう応えたって傷付きますよ。それとも、オズマと付き合う気でもあるんですか?」 「ない、けど」 「止めておきなさいあんな男。だいたい、あなたには私がいるでしょう」 「うーん……」 それでも悩むに、イワンは短く溜息をついて、文章なら傷が浅く済むように、私が一緒に考えますから、と手助けを申し出る。その一部始終を見ながら、いちゃつくなら他所でやれ、とローザは怒鳴りたかったが、ふと、何か引っかかるような気がして、顎に手を添える。 ──ていうか、この二人付き合ってたんだ……。 気付いたことを述べたところで、何をいまさら、と一笑に付されんばかりの勢いだったので、それ以上の言及は止めにした自分を、ローザは誰かに褒めてもらいたかった。 * 「という話になったので、返事を貰ってきてやったぞ」 あんぐりと口を開けたままイワンの話を聞き終わったオズマは、ほら、とイワンから渡された手紙を、空ろな目で眺めることしかできない。 「……今までで一番酷い振られ方ですよ」 「それは良かった」 「良くはないですが」 はああ、と盛大な溜息をついて、オズマはテーブルに突っ伏した。酒場のカウンターは熱気とアルコールの沁みたにおいが充満している。イワンは顔色一つ変えずに大将を呼び付けると、こいつに失恋に利く酒を、とオズマを指差した。 「まあ、読むだけ読め。内容はどうあれ、がおまえのために書いた手紙だ」 「そうは言いますがねえ、これを読んで完全に望みを絶たれてしまうより、読まずに取っておいた方が、心には優しいですよ」 「シュレディンガーの恋文だな」 「何を上手いこと言って……って、ちょっと、イワンさん?」 伏せていた顔を上げると、既に隣にイワンの姿はなかった。慌てて振り向くと、明日も早いから私は帰るぞ、と戸口のところで手を振るイワンが見える。嫌味なまでのさわやかな去り方に、そりゃあ女性エージェントからの人気も高いわけだ、などと妙に納得してしまったり。 「ああもう、どこまで冷たい人なんだ」 情けない声で言って、オズマは大将の差し出したグラスを一息に煽った。出されたのは日本酒だったらしく、鼻の奥がつんと痛む。 熱を持った瞼で、手紙を一瞥する。表へ裏へと返して見たり、矯めつ眇めつ眺めていたが、やがておもむろに封筒を開け、中身を引っ張り出した。 結局、オズマは思いもよらなかった理由で、手紙を読んだことを後悔することになる。 内容は言うまでもなくオズマを落胆させたが、一番堪えたのは最後の一文だった。 ──追伸、は私のものなので、以後そのつもりで接するように。…I この世に神はいないのだな、とオズマは悟った。 |