裸足になりたかった。ヒールの軋むサンダルは、走りにくくて仕方ない。 家から店までがこんなに遠いなんて、初めて感じた。そんな私をあざわらうかのように、数歩先で歩行者信号が点滅を始める。 早く、早く、早く。 あの人の、ところへ。 「──社長!」 開店前の閑散とした店内に、私の声が響く。 「ああ、」 奥の座敷に腰掛けて、ゆっくりと私の方を向いた社長は、小首を傾げて、どうした、と訊いた。 「……あ、の、優奈さん、が」 肩で息をしながら切れ切れに、私が言うと、社長はああ、と得心した顔をする。 「もう聞いたのか、早いな」 「……本当、なんですか」 「ああ」 抑揚なく頷いて、社長は、優奈は辞めたよ、と言った。 「そん、な、だって、どうして」 「秀吉が有希ちゃんに金を借りて、優奈の借金を返して寄越したんだよ」 「でも……いいんですか」 「いいんですかも何も」 社長は体を揺すって笑う。腰を上げると、廊下の脇へ流した水面を覗き込む。 「貸した金が返ってきた以上、優奈がここにいる義理もないだろう」 当然のことを、当然のことのように言う。本当にそう思っているような顔をする。 そのくせ、まあ、悔しくはあるがな、なんて、腹の奥底にあるはずの本心さえ、平気で口にする。 そういう人だから。 「……社長」 「んん?」 手を伸ばせば触れられるほど近付いて、しかし触れることもできない。 「私は、ここにいます」 振り向いた社長は、私を見つめるだけで、何も言わない。 「ここに、いますよ」 私はただ、自分の気持ちを言葉にすることだけで、精一杯だった。 |