ウォンカは朝からそわそわしていた。
理由は簡単。何と、あれだけ喚いていた「ミス・は僕に直接会いに来て、お礼を言うべき!」という彼の主張が、受け入れられ、氏が再び、工場を訪れることになったのである。
それで、約束の時間より三時間も前から、応接室でシミュレーションをしていたのだが。
いざ、氏と再会したウォンカは、散々な有り様だった。妙にぎこちない動作で彼女に着席を促し、自身もソファに腰を下ろそうとしたが着地に失敗、見事なしりもちをついてみせた。ウンパ・ルンパが運んできたホットココアで舌をやけどし、いつもなら絶妙なタイミングでカップを取り上げてくれるチャーリーが、今日は家族と町へ買い物に出ていて不在だったため、盛大にココアを床に撒き散らしてしまった。大丈夫ですか、と差し伸べられた氏の手を半ば払い除けるようにして立ち上がると、ゴホンと咳払いをして、何事もなかったかのように、部屋を変えましょう、と言った。
「チャーリーから電話を貰って、あなたがとてもお怒りだったこと、聞きました」
急設の応接室への移動中、氏が項垂れながら、そう切り出した。
「私、何て恩知らずだったのか……自分が恥ずかしくて、彗星になって融けて消えてしまいたいくらい」
「…………あなたが消える必要は、全然ないと思いますけど」
昨日までの不機嫌はどこへやら、ウォンカはぼそぼそと呟いた。
「いいえ、きちんと謝罪をさせてください。そして改めて、お礼を言わせてください」
「……そんなに言うのでしたら、どうぞ」
元はと言えば自分のわがままが原因であるはずの氏の謝罪を、ウォンカは、まるで人事のように、そっけなく受け取った。チャーリーがいたら、きっとまた、睨まれていたことだろう。
「あの後、ハロルドと話し合ったんです、三日もかけて。もっと、『私』の心に忠実に、遊園地を経営していきたい、そのために何が必要か、これからどうしたらいいのか……お恥ずかしい話なんですけど、ハロルドとは、三年間、いいえ、祖父が生きていたころからだから、もっと長い時間、一緒に仕事をしてきた仲でしたけど、あんなにお互いをさらけ出して話をしたのは、初めてだったと思います。とても、有意義な時間でした」
「へぇぇ」
「彼も私を理解してくれたし、私もまた、彼を理解することができたと思います。今、一歩ずつですけど、確実に、良い方向へ向き始めています。それもこれもすべて、ウォンカさん、あなたのおかげです」
ありがとうございます、と深々と、頭を下げた氏に、ウォンカは少し、困惑した。
「何も、そこまで……僕はただ、言いたいことを言っただけだから」
「それでも私にとっては、世界が変わった瞬間でした。……あなたに出会えて、良かった」
にこ、と微笑んで、氏はウォンカに手を差し出す。彼女に出会ってからこれまで、こういう瞬間は何度かあった気がするのだけれど、そのどれも、ウォンカは彼女の手を取ることはしなかった。照れ臭いというのもあったし、人に触れるのが怖いような気もしていた。けれど今、差し出された彼女の手を、なぜかウォンカは、握ってみたいと思った。そして、そうした。それはひどく柔らかで、あたたかだった。
「ゴホン! あー……ところで」
不自然な咳払いとともに、ぱっと手を離して、今度はウォンカが、昨日から彼を悩ませていたある問題について、彼女に言及することにした。
「あなたの秘書……何と言いましたっけ、ハ、ハ……」
「ハロルド?」
「そう! ハロルド・ホーキンズ……あなたの恋人なんですか?」
唐突なウォンカの質問に、氏はぽかんとした顔をして、それから、ふふっと笑みをこぼした。
「いいえ。なぜそう思うの?」
「チャーリーが、そうなんじゃないか、と言っていたもので……随分と仲もいいようですし」
笑われたことが気に食わなくて、仏頂面で、ウォンカはぶつくさ言った。氏はうふふふっと可笑しそうに、さらに笑う。
「たしかに、私は彼に全幅の信頼を寄せていますけど……彼、既婚者よ」
「……奥さんがいるということ?」
「ええ」
「あなたではなく」
「ええ」
「……でも好き、ってことは?」
畳み掛けるようなウォンカの問いに、笑顔を崩さず、氏はこんなことを言った。
「ウォンカさん、初恋って、実らないものなのよ」
氏の言葉を聞いて、ウォンカは唖然とする。
それじゃあ僕の想いは絶望的だ。そう思ってから、ウォンカは初めて、自分が氏に対して抱いている想いの正体を、知ったのだった。