愛した男に銃口を向けられているというのに、はぼんやりと、その間抜けな穴から薔薇の花でも飛び出してくるような気がしている。要するに、散漫な気分で死の淵に臨んでいる。
滑稽で仕方なかった。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら喚くバレルのことも、それに付き合って大人しく死んでやろうとしている格好の自分自身も、やけに低く感じられる曇天も生温く頬を撫で付ける厭らしい風も、花も木も鳥も大地も。何もかもが茶番に見えた。
「ねえ」
のんびりと呼びかけたの声に、バレルはくいと眉根を寄せる。その眉間へ縦に細く刻まれた皺の流線を綺麗だななどと思いながら、目を逸らさずに言葉を継ぐ。
「はやく、殺してよ」
「馬鹿を言えよ」
バレルは笑った。笑ったようにには聞こえたけれど、果たして彼の顔に笑みの欠片も見て取ることはできなかった。
「お前って女は、何だってそう無気力なんだよ」
「さあそれは、私をそういうふうに産んだ神様にでも聞いてもらうしか」
「お前みたいな女がどうして、ここまで生きてこれたんだと思うと、そのカミサマとやらを信じてみたくもなるってもんだ」
「言っておくけど、私は宗教者じゃないわよ」
「ああそうかい、俺もだ」
腹の力を抜いた。それで、僅かばかり底に溜まっていた空気がひゅうと外へ漏れる。仮にも命の遣り取りが、それも自分のそれについての一部始終が、これほど緩慢でいいのだろうかと、自身思わないでもなかった。しかし、これはこれで案外、愉快な気分にもなるものである。少なくとも、彼女にとっては。
「おい」
の溜息を斜に眺めて、バレルは引き金にかけた指をほんの少しだけ、奥へ押し込む。
「殺せるんだぞ」
俺は今、いつでも好きなときに、お前の最期の男になれる。は笑った。バレルが先程したのとはまったく違う遣り方で、それはそれは朗らかに。そうして返した。私もそうしてほしいのよ。
「それくらいには、あんたのことを愛してたわ」
「そうかい、そりゃあ光栄だ」
「だけど、あんたは殺せないでしょう」
「何」
はゆっくり立ち上がった。腰まである長い髪が肩を滑り落ちる。鬱陶しいだろう、切ったらどうだ、と言って笑ったのは、一昨日私を抱いた男だ。あれは悪魔だ。私を呑み込み、内側から融かした。破壊なんて生易しいものじゃない、あの男がしゃぶりつくしたのは、私の青臭いものすべて──つまり、今の私のすべてである。
黒鉄の伽藍堂に背を向け、はほうと息をつく。バレルが引き金を引いても引かなくても、彼が殺したい彼女は疾うに、彼の憎むべきあの男の手で葬り去られている。
「あんたは私を殺せない」
そのことがたまらなく愉快に思えて、は妙に清々しい。
「でもそれは、さびしくもあるのよ」
バレルは何も喋らない。火を吹き咆える洞も無い。
「本当はね、死ぬならあんたに殺されたかったけど」
泥臭い理想など、所詮は飯事でしかなかったと、気付きたくはなかったとは、もう思えない。世界は自分の脳味噌よりもずっと広くて奥深いんだなんて、知っていたはずのことを実は完全に理解してはいなかったのだ。枷を外された今、振り返ればそこにあるものとは。
「──……ああ、遠いわねえ、バレル!」
破顔し、眩しさに目を細めて、は叫んだ。豆粒よりも小さな点となったバレルは、もはや銃を支える両手も地に投げ出し、やがてふつりとの視界から消えた。
ああなんて、つまらない日常。

「さよならバレル、そして、愛しくも煩わしい生の喜びのすべて」