今となってはもう、あの狂おしいまでの激情が何だったのか、自分でもわからなくなってしまった。
かつて恋人であった女が、自分を捨てた上、五年も姿を晦ましていたというのに、突然ひょいと目の前に現れた。聞けば、今や情報戦線の裏ルートではちょっとした有名人なのだという。マウスが強引な勧誘で、香港マフィアに飼われていたのを引き抜いてきたらしいが、それにしても居心地が悪いことこの上ない。
それで先日、ついに彼女の部屋を訪ねてしまった。何がしたかったわけでもない。ただ、足が向いてしまった。
はあああ、と、バレルの溜息は深い。我ながら女々しいことを言ったもんだと、今更後悔しているのである。
付き合っていた女が別の男と関係を持った。問い質せば首を縦に振るが、では乗り換えるのかと聞けば、そういうことではないと言う。捕まえても捕まえても雲だの煙だのみたいにふわふわとすり抜けていくの背中は、五年経ってもちっとも変わっちゃいなかった。それでもなお追い縋ろうとしている格好の自分を、胸倉掴んでぶん殴ってやりたいくらい嫌悪している癖に、どうにもそこから抜け出せない。
要は、置き去りの不安が遣る方無くて、どうにも据わりがよろしくないのだ。
五年前、自分に抱かれたがる女は皆自分を愛しているのだろうと思い込んでいたバレルにとって、は、天地を引っくり返したとんでもない女だった。俺たち付き合ってたんじゃないのかよ、という、バレルにとっては至極当然の恨み言に、それとこれとは関係ないでしょ、としれっと返したに対して、混乱し手を挙げたりもした。結果は離れていったわけだが、長い年月のうちに愛憎は渦を巻き過ぎて、どろどろに融解してだらしなくわだかまるだけの不味そうなアイスクリームみたいになってしまった。これでは、流石のバレルも手の付けようがない。
愛していたはずだったのに。
だからこそ、あんなに嫉妬に駆られたんだろうに。
本当にそうだっただろうか?
は、五年前もつい先日も、バレルを愛していると言った。けれど同時に、その愛を失くしてでも捨ててみたい衝動があったとも言った。そんなものがあってたまるか、とバレルは声を荒げたけれど──果たして彼の中にも似たような感情が無いと、言い切るだけの自信がなくなってきていることに、バレルは気付きつつある。
ああ、いったいどうしたことだろう。
獣の咆哮、或いは押し寄せる濁流、荒れ狂いのた打ち回るように熱く煮え滾っていたもの、それを愛だと信じて止まなかった自分が、まるで映画の登場人物のようだ。理解できなくもないが、完全に同調できるわけでもない。
「──結局俺は、お前を愛しちゃいなかったのか」
頬杖をつき、ぼそりと呟いたバレルを、は一瞥して、さあね、と気の無い返事をした。
「どっちでもいいじゃない、そんなこと」
「お前ね、何でそんな無関心なわけ」
「愛だの恋だの、所詮は思い込みの自己暗示なんだから、理屈捏ねくり回したって時間の無駄」
「ああそうかい」
のこういう哲学染みたところに、昔からバレルは上手く遣り込められてしまう。手の平で転がされているようでいい気はしないが、かと言って反論できるほど、実は確たるアンチテーゼも持ってはいない。
つまるところ、五年経ってもに勝てない自分が、バレルは悔しいだけである。