「客観的なことを言えば、私はあんたを愛してたんだと思うの」
天気の話でもするような能天気さで、は言葉を紡いだ。バレルの眉間に皺が寄る。
「じゃあ何で消えた」
「そう結論を急がないでよ」
苛立ちを隠そうともしないバレルとは対照的に、は飽くまで平静であることを貫くつもりらしい。それでも少々、うんざりしたように片眉を上げて、バレルを視界の隅に入れた。
「疲れてたとか、追い詰められる日々から解放されたかったとか、そういう感情があったことも事実よ」
「ハッ。なるほどねえ、ご立派な理由だ」
小さな体をくの字に曲げて、バレルは声高に笑ってみせた。狭い部屋にそれは安っぽくこだまして、無表情な金属の壁に吸い込まれていく。
「自分可愛さに仲間を裏切った人間が、一丁前に愛を語るのかよ? ご都合主義も大概にしな」
「だから、信じてくれなんて言ってないじゃない」
短く溜息をついて、は立ち上がった。いい加減、冷めたコーヒーを飲むのにも飽きてきていた。何の因果か、かつての恋人と同じ職場に雇われてしまったときに、いつかは彼からこうした尋問を受けるのだろうとは思っていたが、本当のことを話したところで理解してもらえるとも思えないので、にとってこんな面談は時間の無駄でしかない。
「私を恨みたいなら恨んでくれて構わないし、謝罪が必要なら謝るわ」
「そういう問題じゃねえんだよ」
「じゃあ何なのよ」
「俺は、本当のことが知りたいだけだ」
真実を話してくれよ。バレルは縋るような目で繰り返す。
呆れてしまった。
たしかには、若い頃に連んで一緒に馬鹿騒ぎをしていた仲間に何も告げず、ある日突然ふらりと彼らの前から姿を消した。そのことについて罪悪感が無いわけではないし、特にバレルとは浅からぬ関係だったのだから、文句を言われたり一発二発は殴られても仕方ないとは思う。しかし、言うに事欠いて真実とは。女々しいにも程がある。
「真実って何」
払い除けるように右手を振って、はバレルに背を向ける。
「そんな不確かなもの知って、何になるっていうの」
「あ、?」
の言葉は、バレルにはうまく伝わらなかったらしい。構わず、は続けた。
「五年前、私はたしかにあんたを愛してたわ。でも同じくらい、もっと違う世界へ行きたかった。それはどれも私の真実だったし、私の言葉でしか説明できない」
だから、私の言葉を信じられないなら、それ以外にもう弁明の余地なんてない。
「何言ってんだ、おまえ。わかるように話せよ」
「わかる必要はないって言ってるの」
「意味わかんねえ! おい、つまり俺が聞きたいのは」
「はい、この話は終わり。どいて、コーヒー淹れに行くんだから」
まだ何か言いたそうにしているバレルを無理やり押しのけて、は強引に部屋を出て行く。こんなに後味の悪い思いをするくらいなら、嘘でもあのときちゃんと振っておけばよかったわ。振り返りもせず捨て台詞を残し、ひらひらと手を振ると、てめえぜってえ許さねえからな、と遠吠えが追いかけてくる。
そういう負けず嫌いなところが全然変わってないんだ、と思うと、知らず、笑みがこぼれた。