──ひいなのよめいり、いつやろか
──ほほにべにさし、かみにかんざし
──ひいなのよめいり、まだやろか
──あめがふったらまたあした

「……あっ」
ふと途切れた手毬歌の方を見やると、目に鮮やかな桃色の球体がころころとこちらへ転がってくるところだった。
足元で止まったそれを手にとって、駆けてきた少女に渡してやると、少女は花のように笑んでありがとうと頭を下げた。おかっぱ頭の黒髪が健やかに揺れる。
庭は、春をこれ以上無いほどに満たして夏へとその色を変えようとする五月の陽気に溢れていた。下げていた途中の膳を抱えなおし、駆け去っていく小さな背中を見送りながら、は実家の妹のことを思った。が家を出たころ、妹はあれくらいの年頃だった。それからもう十年が経っているから、もうずいぶん大きくなって、女性らしくなっているのだろう。あねうえ、あねうえと袂にひっついたきり離れなかったあの子が。そう思うと、自然と頬が緩んだ。
祖父の代、の家はたいそうな名家であったという。しかし嫡男がいなかった。母が婿を取ったが、その父も妹が生まれてすぐ、病に倒れ帰らぬ人となった。祖父も亡くなり寄る辺の無くなった家は取り潰しを已む無くされ、病がちの母に代わって十三才だったが、残された母と妹を守るべく奉公へ出されたのである。

建物の内から呼ぶ声がした。
「出掛ける。支度を整えろ」
「はい」
この屋敷の主、南の大老の子息である。は平伏し、慌てて膳を料理場へ戻すと部屋へ戻った。
「お出掛けは、どのようなご用向きで?」
「西の大老殿が父を訪ねて来ておられるだろう、これから芝居を観に行くのだそうだ」
なるほど、先刻の少女は西の大老が連れてきた娘だったのか。
「では、略礼服をご用意いたします」
召し替えを済ませる間、子息は終始不平を挙げ連ねていた。曰く「年寄りの道楽に付き合うのも骨が折れる」、また曰く「早々に隠居でもしてくれないものか」、また曰く「あんな洟垂れ娘を私の婚約者などと、笑わせてくれる」。
「──どうした?」
思わず手の止まったを、子息は怪訝な目で一瞥する。
「あ、いえ……ご婚約、なさるのですか」
「フン、二十も年の離れた妻など、養子に貰う方がまだマシというものだ」
するとやはり、あの少女との縁談が持ち上がっている、ということだろう。子息は今年で二十八、対する少女は七つか八つほどだろう。さすがに少々、無理があるように思えた。
「四大老やそれに準ずる貴族の家に、私と同じ年頃の娘がいないのだそうだ。それにしても、まあ半分は冗談だろうが」
あの老いぼれどものこと、半分は本気でこの縁談を纏めかねん。忌々しげにそう吐き捨てたところで、が帯を締め終える。
「そもそも、おまえの家が取り潰しになどなるからいけないのだ」
「はあ……と、申されますと」
「おまえの祖父は老中筆頭だったのだろう? 後継がおらずに家が途絶えたと聞くが、それほどの家柄でおまえの年令ならば、よもや私の妻となっていたかもしれんぞ」
「そんな、滅相もございません。私のような無器量者では、つりあいませんでしょう」
「そうか? 私は、おまえなら妻でも構わんがな」
扇を差し冠を被ると、部屋の外で小姓が車の準備の整ったことを報せた。
「まあ、言っても詮無いことだが……?」
振り向いた子息は、目を丸くして突っ立っているを見て、小首を傾げる。
さも不思議そうに、今日のおまえはいつになくぼうっとしているね、と言った。