喚く声が耳に障る。振り乱した髪は品が無い。やににうす汚れたちぐはぐな歯並びも、どこかで拾ったようなほつれだらけの上着も、何もかもが目障りだ。 今、目の前にいるのと似た者を、水田はこれまでに何百人と相手にしてきた。賭け事が人生を狂わせた、口々にそうがなり立て、あるいは、金を返せ、家族を返せと泣いて縋るが、水田には、その訴えは莫迦の国の言語としか思えなかった。 「赤に賭けるも白に賭けるも、自由だったろう。積む金だってピンキリだ。もっと言えば、最初に勝ったその段階で、終いにしときゃあ良かったものを」 もっと、もっとと欲しがったのは、てめえの愚かさだ。ガキじゃあるまい、なぜ潮時がわからねえ。 水田の冷たい視線が、真っ直ぐに地べたの凡夫を射竦める。勝ち誇られるより、鼻で哂われるよりずっと、憐れまれた方がいっそましだと思えるほどに、水田と落伍者とを隔てる溝は深く、幅を持っていた。どんなに声を張り上げても、理解されない。言葉が通じない。 負け犬はだらりと四肢を投げ出し、その場に放心した。水田は野良にくれるのと同じ瞥を最後に投げてから、背を向け歩き出す。後ろに控えていた子分たちもそれに続こうとしたが、一番後についた鷲頭がとっさに、だんと一歩を強く踏みしめ、水田と捨て鉢との間に割って入った。左手が捉えたのは、一振りのナイフ。 錆びに曇り刃の毀れたそれを眺め、鷲頭は言い様もない嫌悪感に顔を歪めた。鼠でさえ追い込まれればもう少しましな牙を磨いてくるだろうに、この男も所詮は口先だけの悲劇に自ら酔い、かたちばかりの復讐を目論んだ気になっているのだろう。それは、水田がこれまでに相手をしてきた何百人とて、大差がなかった。 「汚い手垢の付いたもん投げやがって、おやじに当たったらどうしてくれる」 ひとつ、大きく息をつき、鷲頭は手にしたナイフを翻すと、刃を真下に、男の膝へ突き立てた。叫びともつかない声で吼えて、それきり男は意識を失う。 それを見届けてから、鷲頭は何事もなかったように、先を行く水田の後を追った。 水田を貴船組本部へ送り届け、橘に挨拶をした後、鷲頭は一足先に池袋の事務所へ戻った。 車中、ハンドルを切るたび、左手に巻かれたハンカチの白が目に眩しく、胸に痛みが走る。それは先刻、車を降りた水田がふと振り返り、鷲頭に渡して寄越したものだった。 当たったのか。 瞬間、何を問われたのか判断がつかなかった。やがて水田が少し目線を下げ、鷲頭の左手を見たので、倣って視線を落とす。親指の付け根がざらりと掻かれ、皮膚がめくれていた。ナイフを受け止めるのにしくじったのだろう。血は止まっていたが、あまり見目の良い状態ではなかった。 鷲頭の視界に、白いものが入ってきた。水田がハンカチを差し出し、巻いていろ、橘のおやじに見苦しいもんを晒すな、と言った。 理由からして断ることもできず、鷲頭は恐る恐る従ったが、アイロンのあてられたまっさらなそれに、皺を寄せてしまうのが心苦しくて仕方が無かった。ましてそれを自分の怪我にあてがうなど、目眩がする思いだった。 何より、水田の前で失態を演じた自分が許せなかった。 怪我に気付かせてしまった、そもそも、怪我をしたこと自体が失態である。 ああ、俺は駄目だ。 あんな屑に傷を負わされるようでは。 おやじが何の気がかりもなく背を預け、ただ前だけを見て歩けるように、そのためにでなければ、俺が生きている意味などないのだ。俺に与えられた生を全うするには、ただ。 俺はもっと、研ぎ澄まさなければ。 |