庭の楡の木の枝陰に、今はもう何も棲まない鳥の巣箱が掛けてあった。
ふとかなしい気分につつまれたとき、ジェーンはこの木に会いに来る。屋敷では父が沈みがちだし、執事やメイドたちに心配をかけてしまうのもいやだったので、ひとりきりになりたかった。
周りに人の見ていないのを確認して、幹に足をかける。幼いころは登ったきり下りられなくなっては泣き叫んで助けを求めたものだった。梯子をかけてくれた上の兄も、優しく抱き下ろしてくれた下の兄も、もう、いない。
据わりのよいお気に入りの枝へ辿りつくと、梢のあいまに空が近づいて見える。巣箱越しに広がるなだらかな丘を、風の渡る音だけがゆく。この世界に本当にひとりぼっちになったような気がして、それがなぜだか、心に穏やかな静けさを連れてきてくれる。
この巣箱を掛けてくれたのは、下の兄だった。真新しい巣箱は空き家のまま一冬を越し、二度目の春に小鳥がたまごを産んだ。兄とふたり、そばの茂みに身をひそめては、えさをついばむひなたちを眺めていた。学校から帰ってくるなりかばんを部屋へ放り込んで、毎日毎日、にぎやかな巣箱のもとへ駆けていった。
巣箱が空っぽになったのは、しばらくしてのことだった。いつものように庭へ出ても、ひなたちの調子外れな歌声が聞こえない。楡の木の下へ行くと、肩を落とした兄がひとり、地面に散らばった小さく白い綿毛のような羽根を見つめていた。問うても首を横に振り、ひなたちは巣立っていったよ、と言うだけだった。
あのときジェーンはうなずいたけれど、本当は、夜中に猫が巣箱を荒らしたのだと知っていた。ジェーンが悲しまないように、兄がうそをついてくれたのだと、知っていた。大切なものを亡くす心の痛みを、ただ独りで背負ってくれた、兄は優しいひとだった。だからジェーンはその優しさを受け取って、今も大切に胸に抱いている。
庭の楡の木の枝陰で、今はもう何も棲まない鳥の巣箱に寄り添っている。下の兄はある日突然、ジェーンに何も告げないまま、この屋敷から姿を消した。それも兄の優しさのひとつなのだとしたら、それは、なんて残酷なことだろう。
けれどジェーンは、それでもやっぱり、兄からもらったすべての優しさを、今も大切に胸に抱いている。